1. 無料アクセス解析

2008年05月25日

Steve Vai

Steve Vai
steve-vai.jpg
(本名 Steven Siro Vai,1960年6月6日)

故フランク・ザッパ門下生の中で、
最も成功したと言える人物。グラミー賞受賞

変態ギタリストと呼ぶ人も?

ジョーサトリアーニの『G3』でも名演を披露した・・・


■ジョー・サトリアーニの弟子?

6歳よりオルガンを習い、オーケストラ用の採譜をするまでに至るが、
レッド・ツェッペリンと出会いロックに目覚める。

13歳の時にギターを友人から購入、帰り道に立ち寄った楽器店で1セットの弦を購入、
その足で“当時地元で有名だったギター講師”ジョー・サトリアーニの元へ弟子入り。
ただし、テクニック的な事よりもレコードを貸すなどという事が主だったという。

このサトリアーニとの関係がその後の音楽性に大きく影響を与え、
後にヴァイが師事する事となるフランク・ザッパとの出会いも、
この時に借りたレコードが最初である。


■まさにエリートコース!〜セクションネームは『Impossible Guitar Part』

その後演奏テクニックを次々に習得していくと同時に、演奏することの喜びを見出し、
その才能を目醒しく開花させていく。

ハイスクールで楽典や音楽理論を習得し、バークリー音楽大学に入学。
在学中に養った採譜力の正確さをかわれ、フランク・ザッパのお抱え採譜係に就任。

ギターやドラムスだけでなく、人の会話やら物音やらをも採譜させるというザッパの元で、読譜力と採譜力を磨くと共に、さまざまな楽器に対する独自のアプローチを見出していく。

1980年代には正式にザッパのバンドにギタリストとして加入。
トリッキーかつエキセントリックなギターテクニックを武器に、
複雑怪奇なフレーズをいとも簡単に弾いてのけるヴァイに与えられた
セクションネームは『Impossible Guitar Part』。

ライブのソロコーナーで、聴衆やメンバーにミュージカルのスコアを持ってこさせ、
場面を一度も見ないで演奏する技術、“Sight-read”をしばしば披露した。


■ザッパ〜アルカトラス〜デヴィッド・リーロス
       〜ホワイトスネイク〜そしてソロへと・・・


ザッパとの活動を続ける傍ら、セッションミュージシャンとして数多のアーティストと競演

1982年
ザッパの演奏をヴァイが採譜したものを集めて、
『The Frank Zappa Guitar Book』を出版。この年カリフォルニアに移住する。

1984年
初ソロアルバム『Flex-Able』を発表。プログラミングやサンプリングを多用した
実験的で斬新な音楽性と、ザッパ一門出身という肩書きも手伝って、
ロックマニアの間にその名を徐々に浸透させていく。

1985年
グラハム・ボネットの“アルカトラス”からイングヴェイ・マルムスティーンが脱退。
後釜としてヴァイがギタリストに抜擢される。
突然脱退したギタリストの穴を埋めるという急務を授かったヴァイは、
たった一日で彼のパートをすべて覚えなければならなかったという。

1986年
デイヴィッド・リー・ロスから誘いを受け、バック・バンドに加入。
超絶技巧ベーシストとして名を馳せるビリー・シーンと繰り広げる
激しい演奏バトルやステージパフォーマンスが評判を呼び、
スティーヴ・ヴァイの名はロックファンの間に広く知れ渡る。

多くの批評家が、好んで彼をエディ・ヴァン・ヘイレンと比較しはじめる。
しかしロスとの音楽性の相違から、アルバム2枚を発表し脱退。
(アルバム2枚と、そのツアーをこなしたら脱退する予定であったとも…)

そして、ザッパとの仕事も断ち切って独立。
そのまま、兼ねてより構想を練っていたソロアルバムの作成にとりかかる。

1986年
元セックス・ピストルズのジョン・ライドンと
『ALBUM』(CD版『COMPACT DISC』)を製作しファンを驚かせる。

1986年
映画『クロスロード』ラストのギター対決で、ギター少年との壮絶なギターバトル!。

1989年
デイヴィッド・カヴァーデイルが結成したホワイトスネイクの助っ人ギタリストに抜擢。
アルバム『スリップ・オブ・ザ・タング』を制作、ワールドツアーに参加し、
同時にソロアルバム『パッション・アンド・ウォーフェア』のプロモーションも兼ねて行う。

1990年
ソロアルバム『Passion and Warfare』はインストゥルメンタルアルバムとして
異例の大ヒットをおさめ、今日まで金字塔的役割を果たす作品となった。


■ギターミュージックの新しい領域へ・・・

そこには、バンドミュージシャンであるが故に思う存分発揮できなかった彼の個性と、
彼の奏でたかった本当の音楽が自由に解き放たれており、
カラフルに彩られたキャッチーなメロディと、どこかふしぎなニュアンスを
随所に含んだ楽曲からは、芸術家スティーヴ・ヴァイが、誰にも邪魔されずに自分の世界を思う存分謳歌している様が見て取れる。

ツアー終了と同時にホワイトスネイクを脱退。
世界的な認知と人気を得、音楽業界への土台を踏み固めたヴァイは、
満を持して自由なミュージシャン活動を始める。

当時無名の新人ヴォーカリスト、デヴィン・タウンゼントを発掘し、
バンド名義“ヴァイ”(Vai)として作成したアルバム『セックス・アンド・レリジョン』、
マニアに向けたギターアルバム『エイリアン・ラブ・シークレッツ』、
ヴァイ自身によるヴォーカルナンバーとインストナンバーを
壮大な組曲で挟んだ『ファイヤー・ガーデン』、
自身の音楽的集大成作にしてギターミュージックの新しい領域への到達を遂げた
アルバム『ウルトラ・ゾーン』と、ひとつのスタイルに留まることを良しとせず、
常に斬新なアルバムを世に送り出し続ける。


■その後の経歴

アルバム『ウルトラ・ゾーン』の『エイジアン・スカイ』では
B'zの松本孝弘・稲葉浩志とコラボレートした。

また、松本孝弘のソロアルバム、『華』収録の『#1090 [千夢一夜]』と
『Romeo & Juliet』ではミックスを担当した。

1994年オジー・オズボーンとの競作、競演のセッションに参加。
このときのセッションからアルバム、オズモシスにマイリトルマンが収録される。
作曲したのはヴァイであるが、録音は差し替えられた。
この年のグラミーでパフォーミングに対して賞を受賞する。

2000年
自身レーベル"Favored Nations"を立ち上げる。
(2004年にはジャズ部門が新設される)

2002年
東京のサントリーホールで、東京メトロポリタンオーケストラと競演。
それは作曲家、野平一郎のFire Stringsのワールドプレミアであった。
この曲はエレクトリックギターと百人編成のオーケストラのための曲である。

2004年
マイクロソフトのテレビゲームhalo 2のメインテーマをギタリストとして担当。
彼がオーケストラのために作曲した曲をオランダでメトロポールオーケストラと演奏し、
一連の演奏シリーズは、The Aching Hungerと名付けられた。

2005年
スタジオアルバムとしては約5年ぶりとなる
『リアル・イリュージョンズ:リフレクションズ』を発表。
『困難の連続である人生、その中で真理を探究する男』にまつわるおとぎ話
『Real Illusions』と、そのストーリーに付随する音楽をアルバムにまとめることをコンセプトとした連作の第一弾。

物語の全容はまだ明かされてないが、自分の全人生を掛けた素晴らしい作品になる、
とヴァイは語っている。オープニングを飾る『ビルディング・ザ・チャーチ』は、
テレビドラマ『医龍-Team Medical Dragon-』の挿入曲として使われた。
同年、パリでデュアルギター(エレクトリックとクラシック)曲、
“The Blossom Suite”をクラシックギタリスト、シャロン・イスビンとともに
プレミアとして行う。

2006年
ザッパミュージックに回帰。ツアーでドゥイージル・ザッパと特別ゲストとして競演。


■ヴァイの音世界

作曲や即興演奏の際、スタンダードなロックギターのスタイルが
ペンタトニック・スケールの多用であることに対し、
リディアン・スケールやミクソリディアン・スケール等、複雑な旋法を作品に用いる。
これにより、ヴァイの曲はある種独特な雰囲気を醸し出しており、
一聴してそれとわかる程の個性を強く放っている。

スタジオアルバムの7曲目はバラードナンバーの指定席となっており、
それだけを集めたコンピレーションアルバム『セヴンス・ソング』も発売されている。


■ヴァイの人格はどう?

エキセントリックな作風とは裏腹に、冷静で物静かな人物である。
議論や口論をする際にも、声を荒げることはない。
彼の音楽を理解しようとしないインタビュアーや評論家に対しては、
意見の相違を逆手にとり、巧みに言葉を使い分け相手を混乱に陥れ弄ぶこともある。

争いを好まず、諍いがおこると自ら身を引いてしまう。
バンド内で音楽性の衝突を感じた場合は、争わずに脱退という道をとる。
その後も言い訳じみた発言はせず、沈黙してしまうため、
我がままな芸術家という印象を与えがちである。


■エピソード〜商売上手!?

誰もが認める一流のアーティストであるが、同時に頭も切れる人物である。
ザッパのバンドにいた時代のエピソードとして、以下のようなものがある。

当時ザッパのレコーディングスタジオには多くの機材があり、
中には使われていないものもあった。
ヴァイはザッパに許可を得てそれらを借り出し、自身で使用するとともに、
友人などに有料で又貸しをしていた。

その料金を貯めて自身でも機材を購入し、それも貸し出した。
こうして得た金で、最終的に自宅にレコーディングスタジオ並みの機材をそろえ、
1stアルバムの『FLEXABLE』を録音した。

こうして、すでに出来上がったマスターテープを持ってレコード会社と契約したために、
通常ならレコーディング費用の返済に充てられるべき収入のほとんどを、
懐に入れることができた。
又貸しなど道義的に問題を含んだ手法ではあるが、発想や着眼点は興味深い。
(ヴァイを可愛がっていたザッパが、遠回しにそうするようにし向けたとの説もある)

現在はそうでもないが、子供の頃は在り来たりに感じた事からブルースが嫌いだった。
今ではカントリーが好みではないらしく、
『耐えられない!僕の指は、あれだけはプレイしないだろうね』と語っている。

ファンをとても大切にし、コンサート終了後に裏口で彼を待っているファンを必ず訪れ挨拶をする。サインや写真を頼めば快く承諾してくれる。
また、プラチナチケットを買ったファンでなくとも公演後に時間があれば
ひとりひとり話をする機会を設け、質問も受け付ける。

私生活では、時間にルーズであるらしい。
妻はデビュー前のヴィクセンのベーシストだったピア・マイオッコ。

ベジタリアンであり、動物性たんぱく質を一切摂取しない。
自宅には専用のピラミッドがあり、『Passion and Warfare』製作時には、
その中に入って瞑想したりもしていた。
また同時期、自分にしかわからない言葉で日記をつけていた。

ライヴでは必ずと言ってよいほど巨大な送風機が設置され、
風を受けつつ、長髪を棚引かせながら、活き活きとギターを弾く様が
一流ギタリストとしての余裕と風格を醸し出している。


■ディスコグラフィ

1984年 Flex-Able
1984年 Flex-Able Leftovers(視聴OK)
1990年 Passion and Warfare(視聴OK)
1993年 Sex & Religion(視聴OK)
1995年 Alien Love Secrets(視聴OK)
1996年 Fire Garden(視聴OK)
1999年 The Ultra Zone(視聴OK)
2000年 The Seventh Songs(アルバム7曲目を集めたバラード集)
2001年 Alive in an Ultra World(視聴OK)
2002年 Elusive Light & Sound 1(映画等の提供音楽集)
2003年 The Infinite Steve Vai: An Anthology(ファン投票によるベスト盤)
2005年 Real Illusions: Reflections(視聴OK)
2007年 Sound Theories, Vols. 1-2(視聴OK) 
   (既存の曲をオーケストラ用にアレンジして自演したVol.1と、
    自作のオーケストラ曲を収録したVol.2の、2枚組みCDとなっている。

将来的に発売されるCDと合わせて10枚組となる
“The Secret Jewel Box”が存在する。
内容はレアトラックやフランク・ザッパやアルカトラス時代の作品、
ヴァイがプレイしたサウンドトラックを集めたものである。


■関連商品(amazon)




■関連商品(楽天)

★限定!スティーヴ・ヴァイ ピックDunlop Steve Vai pick
【送料無料】IBANEZ 1000SV-MP スティーブヴァイピック×10枚 アイバニーズ Steve Vaiピック
【Keeley◆ギタリストSteve Vaiとのコラボ作】Keeley DS-1 Mod Ultra
Ibanez JEMINI【初回入荷分予約受付中】

ロックな暮らしのショッピング


■関連リンク

スティーブ・ヴァイ・オフィシャルサイト
posted by キング・トミー at 14:15| Comment(1) | TrackBack(0) | スーパーギタリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ヴィクトリアズシークレット 通販
Posted by ヴィクトリアズシークレット 日本 at 2013年08月04日 06:31
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。